こんにちは。
ニラカナ堂です。
これまで沖縄に住むまでのあれこれを書かせていただきましたが、
沖縄に住んで一貫した思いは、
「沖縄に恩返しをする」
ということでした。
東京で過労から重度のうつを患い、
生きていく道を模索していたぼくにとって、
「沖縄という生き方」を
指示してくれた沖縄の人々との出会いは、
文字通り、
ぼくに命を吹き込んでくれるものでした。
この頃、
ぼくは日課として日記をつけていました。
うつが治る過程を書き記しておきたい、と思ったからです。
あるとき、
「おきなわ文学賞というものがある」ということを知って、
簡単な気持ちで応募してみました。
「簡単な気持ちで」とあえて書かせていただきましたのは、
当時つけていた日記を
そのまま「おきなわ文学賞」に応募させていただいたからです。
当時、
本業のガラス工房での収入だけでは、
豊かな生活を送ることが難しかったため、
Webライターもしていました。
自分で企画書を出し、
「島ないちゃーの沖縄生活」というコラムを
まかされるようになりました。
そもそもなぜライターだったのかというと、
学生時代新聞社でアルバイト記者をしており、
書評や取材記事を書いていたからです。
大学3年生当時は、
担当教員が芥川賞作家の三田誠広先生で
小説を書く講義も受けていました。
その先生の推薦もあり、
小説が「文芸早稲田」に掲載されることもありました。
もともと文章を書くことが好きだったのです。
話を戻しますが、
そういうわけで、
おきなわ文学賞をいただいた背景には、
日記を書いていたことと、
Webライターをしていたことがありました。
授賞式で感じたことですが、
内地苗字で受賞しているのはぼくくらいでした。
完全にアウェイです。
沖縄にはいいこともいっぱいありますが、
こうした応募に内地の人が通ることは珍しく、
そこには「壁」を感じています。
しかし、
そんなことにも気づかず、
何度も言いますが「簡単な気持ちで」応募したのです。
逆に、
もし肩の力が入った状態で応募していたら、
受賞していなかったかもしれません。
ものを書く上で
この「力加減」というのは非常に影響してきます。
受賞後、
勤務先の会社ではECの店長をまかされるようになりました。
ECは、
画像もさることながら文章力がかなり影響するものです。
そういう意味ではむいている仕事でした。
講義そのままの内容が、書籍にまとめられています。
小説に限らず、文章を書く仕事をする人にオススメできる一書です。
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