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執筆者の写真ニラカナ堂 佐々木仁孝

「正義」、この不確実なもの。


子どもの頃から比較的身近にあったワードに、


「正義」


があります。


「正義のヒーロー・○○マン」。


子どもの頃、

まかり間違っても

自分は悪党側につくことは考えてもいなかったし、

ヒーローの主題歌を歌うことで

自分を鼓舞していたことも記憶の片隅にはあります。





これは男の子だけの話ではなく、

小さな女の子はプリキュアを通して「正義」を身近なものにし、

同一化することで自分を鼓舞していたところもあると、

娘の成長過程には感じてきたことです。


そう、

「正義」と同一化することで、

前進する原動力にはなると思います。



しかし困ったことが起こりました。



学生時代にお世話になった二人の先輩が

「正義」で争っているのです。


そのうち一方は、

現政権にも影響を及ぼすキーマンとして知る人ぞ知る人です。

99.99%の人はそちらを支持しています。

ほんのわずかな人がもう一方を支持している。


どちらも「正義」を口にします。


支持率の問題ではなく、

フラットに耳を傾けると、

どちらの「正義」にも分があります。


いっそ仲良く手を組んでくれればいいのにね、


こういう問題が起きたとき、

いつもそう思います。


どちらともお世話になってきた先輩であるから

なおのことです。



「正義」は行動の原動力にはなるが、

ときとして非常に暴力的なものになると

ぼくには思えて仕方ありません。



他者に振りかざす「正義」ほど、

暴力的であり、

妄信的であり、

思慮のないものではないかと思えてならないのです。



北朝鮮という国をみれば、

「正義」

がいかに愚かしいものかわかると思います。


「正義」のために、

日本人拉致事件を起こす。

言論統制する。

批判者を許さない。

虐殺する。


しかし、

その論調は日本に住む日本人であるぼくが感じていることで、

北朝鮮に住む北朝鮮人はまったく違う感じ方をしているかもしれない。


ウルトラマンも、

最終的には怪獣を爆破したりして、

「圧倒的な強さ」を顕示する。

怪獣にも生存権はあるはずなのに、です。



他者への想像力を欠いたとき、

「正義」の暴走が始まります。



というわけで、

「正義」というものは非常に不確実なものと言わざるを得ない。



多様な価値観の間に入り、

対話し、つなげていく必要があるのではないでしょうか?



折しも、

コロナ禍の影響で、

世界各地の海、空がきれいになったと言われています。


コロナウイルスは人間にとっては「悪」だとしても、

地球全体にとっては「正義のヒーロー」かもしれない。



ものごとには裏と表がある。

多様化する価値観の中で生きるぼくたちは、

もっと思慮深く生きる必要があるのではないでしょうか?



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1人を殺せば5人が助かる状況があったとしたら、あなたはその1人を殺すべきか? 

哲学は、机上の空論では断じてない。金融危機、経済格差、テロ、戦後補償といった、現代世界を覆う無数の困難の奥には、つねにこうした哲学・倫理の問題が潜んでいる。この問題に向き合うことなしには、よい社会をつくり、そこで生きることはできない。

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