小説|虐げられた人たちに花を添えたい
一つの事件を追っています。
その事件の存在を知ったのはつい最近のことですが、
書きたいと思っていたこととリンクするので、無視できません。
むしろ、取材したい思いでいっぱいです。
ものごとには複眼的視点でとりかからねばならぬので、
まだその一方の主張を断片的にしか把握していませんが、
興味のあることです。
取材の申し込みをしてみようかしら。
そういう思いがむくむくと湧いてきています。
最近ノーベル文学賞の発表がありましたが、
今年も村上春樹は受賞しませんでした。
思えば、春樹は
芥川賞でも、何度もノミネートされては落選し続けた作家ですが、
ノーベル賞にいたってもそのような状況に置かれている。
しかし、芥川賞を受賞しなかった春樹が
はるかに芥川賞作家よりも良質で
メッセージ性のある作品を生み出していることは誰もが知っていることです。
その春樹は、概要、
「虐げられた者の側に立つ」ことが文学の使命だと述べたことがありました。
これは文学における一つの真実だと思います。
一重踏み込んでいえば、
「虐げている者」もまた誰かに虐げられていることが多いです。
それはマトリョーシカのように、
剥いても剥いても、
被害者と加害者が入れ子になっている場合が少なくない。
では社会の仕組みがおかしいと大上段を構えればいいのか、
と言えばそうではありません。
ミニマムな事件の中に、
社会の縮図があり、
そこを掘りつくすことで何か表現できるものがあるはずだ、と
ニラカナ堂は考えます。
取材する、という行為は、
得てして、誰かを傷つけることにもなります。
慎重を期したいと考えています。

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