週末は家族3人で沖縄北部へ旅行していました。
ホテルのロビーではピアノの生演奏があり、
前々からピアノを習いたいと言っていた娘は
ピアニストのそばにピタッと寄り添い、
一つの演奏が終わるたびに拍手をしていました。
その拍手は、
周囲の人をも巻き込み、
1曲終わるたびに拍手の量も増えていきました。
ピアニストは
腰をかがめて娘の名前を問い、
かわいい名前ね、
と満面の笑顔で対応してくれました。
滞在2日目も、
娘はピアニストのそばで演奏を聴き、
前日と同じように拍手を惜しみませんでした。
何曲目かの演奏で、
「糸」が流れました。
妻と出会った頃に歌って聞かせた曲です。
妻は感動して涙ぐんでいました。
贅沢な時間です。
いま、
ニラカナ堂は社会に虐げられた人の話を書いています。
この場面も、
ぜひ使いたいと思いましたが、
ストーリーとしては真逆を行きます。
幸せの絶頂のあとに、
人生最大の不幸が訪れるーー。
それもピアニストの方に。
そんなストーリーを組み立てました。
創作モードに入ると、
様々な出来事を一方向からだけではなく、
さまざまな方向から光を当てます。
若い頃は、
創作の世界と自らの生きざまが混在化しており、
よく
「あなたの生き方は不幸さがしをしているようにみえる」
と言われたものです。
いまは幸せは幸せ、
創作の世界とは別物、
と別けて考えられるようになりましたが、
若い頃は大変でした。
そのバランスをとれなかった作家の一人が、
太宰治だったのではないでしょうか。
自らを死に追い込むことを何度も繰り返す。
自己否定をすることで承認欲求を満たすような作家だったと思います。
幸い、
何度か死にかけはしましたが、
ニラカナ堂は元気な51歳になり、
そのバランスをとることが出来るようになった。
愛すべき家族がいることの幸せをかみしめることができる。
これは何にも代えがたい宝です。
もし、若い作家志望の人がいるなら、
ここは注意しておいてほしいと思います。
創作の世界と人生は別物だということを。
ニラカナ堂もデッドラインを何度もすり抜けましたが、
そこで得たことはそれなりに、
人生の武器にはなっていると思います。
しかし、
それと現実の生活の幸せはまったく別のところにある。
幸せになりながら、
人生最大の不幸を描くことは可能、です。
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