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執筆者の写真ニラカナ堂 佐々木仁孝

沖縄で生き残っていくためにはニッチを探せ!

更新日:2020年5月27日

20年前、沖縄をはじめて訪れたとき、

まさかその後の人生を沖縄で送るようになるとは

夢にも思っていませんでした。


しかし、

結果的には20年以上住むことになり、

沖縄生まれの妻と結婚し、

子どもも沖縄で育てることになっています。


振り返ってみれば20年という時間は短いと思います。


と言いますのも、

沖縄に魅せられつづけているからです。


沖縄の移住者は年間3万人余り。

移住率は東京に次いで全国2位です。


しかし一方、

沖縄から県外へ帰っていく人も相当数いると言います。


20年余り住んでいる人間の肌感覚として、

2年単位で帰っていくパターンが最も多いように感じています。


一つには単純に転勤になった場合、

2年ひと区切りというのはわかります。


しかし、

そうした理由もなく、

「沖縄卒業しました!」

と言って本土へ帰っていく人が本当に多いのです。


果たしてそれは「卒業」と言えるのでしょうか?


沖縄に過度な幻想を抱き、

勝手に夢破れて「卒業」などと言われた日には、

少々カチンとくるものがあります。


まず、その幻想を打ち砕きましょう。


・物価はそれほど低くない。とくに野菜類は高い。

・家賃は比較的安いが、沖縄にはプチバブルがあってこれから上がっていく傾向にある。

・とにかく給料が安い。


経済的な面でもこれだけ「そんなはずじゃなかった!」と思われることがあります。


経済的な不安を払拭するには、

簡単にいえば、

「勤め人を辞める」ことが一番手っ取り早いでしょう。


例を出しましょう。


10年ほど前まで沖縄はラーメン不毛地帯でした。

それもそのはず、

沖縄には「沖縄そば」という麺の文化がすでに確立されていたからです。


しかし、

武蔵家、我流家など、

とんがったラーメン店が次々と注目されるようになり、

「沖縄ラーメン協会」が結成。

内地の有名店が次々と出店するするまでになりました。


その期間約10年。

沖縄にとってニッチだったラーメン店はいま飽和状態にあります。


しかし、

先駆けとなった武蔵家グループ、

我流家グループは安定の存在感を放っています。







そう、

沖縄で経済面での不安を抱えずに生きていくには、

沖縄にとってニッチな産業を起業することが一番なのです。


とはいえ、

ニッチを探すことはそうそう簡単なことではありません。


そういう場合、

既存の業界で「ニッチなことをする」というだけでも

かなりとんがった商売ができるようになるのではないでしょうか?


夢の沖縄生活!

簡単に「卒業しました」とは言わせません。


そのお手伝いが出来たら幸いです。

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