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執筆者の写真ニラカナ堂 佐々木仁孝

灰谷健次郎を蘇らせた沖縄

沖縄に住んで約20年。

最初は野宿からはじまった沖縄生活でしたが、

そこから、

ライターをしながら家を借り、

結婚して家族が出来て2度の引越をして、

いまは3LDKのマンションに住むことが出来ています。


特に大変だったのは、

いうまでもなく野宿時代でしたが、

一番刺激的な日々を送れたこともこの日々にはありました。


沖縄との最初の出会いは、

フィンガー5でしたが、

なぜか南沙織とか、沖縄出身の歌手に惹かれる傾向が幼くしてありました。


そして時は過ぎ、

小学高学年になり、ある一書との運命の出会いを果たします。


それが、

灰谷健次郎の、「太陽の子」でした。


神戸を舞台に沖縄出身者のコミュニティの模様が描かれていく。

色濃く残った戦争の記憶が、

小学6年生の主人公・ふうちゃんの両親をはじめ、

周囲の大人たちのなかにはあります。


「沖縄は悲惨の島」と呼ばれていた時代がある、

と書きましたが、

まさにその時代の小説です。


後に沖縄に渡って、

「ゆいまーる精神」(※1)とか「ちむぐるさー」(※2)の心を実体験して、

そののち、

「太陽の子」を再読すると、

まさにそのことが書かれていて、

「灰谷健次郎が感じた沖縄を追体験している」と感じたものです。



【灰谷健次郎】



それを強く意識することが出来たのは、

まさに「野宿生活」を送っていたからでしょう。


何者でもない、

何も持っていないからこそ得られた「沖縄の知恵」は

いまもなおぼくを魅了してやみません。


灰谷健次郎自身、

心を病み、

アジア放浪の最後の場となった沖縄で、

「沖縄の人のやさしさの背景には深い悲しみを経験したからこそのものだ」

と悟ります。


その後8年かけて「太陽の子」を書き上げます。



文庫本792円。Kindle unlimitedでの購読であれば無料+50%還元】



高度経済成長時代に置き去りにされてきた沖縄の人の人権や悲しみ、

であるからこそ、

その沖縄の人のやさしさがいやまして輝きを放っている様子が描かれています。


ぼくは、

だいたい初対面の人に、

「灰谷健次郎の太陽の子を読んでください」

と名刺代わりにそう言ってきましたし、プレゼントしてきました。


関西出身の灰谷健次郎は後に沖縄県の渡嘉敷島に移り住みます。

彼の人生を変えた「沖縄との出会い」は、

そのままぼくのものにもなっています。


沖縄ビギナーの人にも、

沖縄の人にもぜひ読んでいただきたい一書です。



(※1,2に関しては別のブログで詳しく述べようと思います)

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